カナダとアメリカの国境に地響きをたてながら流れ落ちるナイアガラの滝。
水しぶきをあげ、岩々を打ちたたきながら勢いをつけ、ものおじすることなく堂々とその存在感を見せつけている。滝の上流にはゆったりとたくましく、落ち着きすまして流れる川……そして一瞬の間に勢いをつけ、一体感を保ちながら谷底へと流れ落ちてゆく。そしてしぶきをあげ、泡と音をたてながら、再びゆったりとたくましい下流となって流れてゆく。
バイブルには「顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る。」という言葉がある。川の流れと滝を見つめているうちに、なぜか己の心にも流れがあることに気付かされる。確かに人生は川の流れと似ているところがある。全てがスムーズに流れるわけではない。嵐や雨によって水かさが増すように、試練によって心が重くなることや、生活の流れを止めるかのような、先が見えない問題の岩々にぶつかってゆくこともある。時にはあまりにもせっぱつまって、滝の流れと共に身を谷底に投げ捨て、全てに終止符を打ちたいと思いつめてしまうこともある。しかし人生はそのような試練ばかりではなく、にがい苦しみを忘れさせてくれる安らぎへと不思議に導かれていくこともある。水路のそばに植わった木はそのような流れの水によって時と共に実を結び、花々は美しく魅力をかもし出してゆく。川の流れは生きる物に必要な潤いを与えてゆくのである。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」とバイブルにはあるが、もし君が今生きることに疲れ、渇きを覚えているなら、この自然界を創り、たくましさと美しさで魅了している神の存在があることを心にとめてみてはどうだろう。イエス・キリストは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と優しく君に呼びかけている。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」……と今日あなたに約束している。イエス・キリストの十字架の出来事は、ナイアガラの滝以上の衝撃と感動を君の心に間違いなく与えると俺は思う。 |