■宗教部門:松岡広和
 フォ−ラム第三回
お経について

読経
 お寺の法事などでお経が読まれますが、何を言っているのかわからないという感想を持つ人が多くいます。しかし、もしあれを聞いて、意味のわかる人がいたら、それこそおかしなことです。
 なぜなら、法事やお葬式における読経は、漢文で書かれている経典の文字をただ棒読みに、音だけを追って読んでいるだけなのです。
 たとえば、有名な『般若心経』の一節に、「色即是空 空即是色」というところがあります。これを、法事などでは「しきそくぜくう くうそくぜしき」と読みます。聞いても意味がわかるはずがありません。
 これを書き下し文にしますと、「色すなわちこれ空 空すなわちこれ色」となり、さらに意味を翻訳すると「物質的存在は実体のないもので、実体がないということは、抽象的観念ではなく、物質的存在そのものなのである」となります。
 つまり、一般的にいわれる読経とは、聞いている者に意味を伝えようとするのではなく、いわば呪文のような役割を果たしているのです。ありがたいお経なのだから、意味を取らなくても、発音だけでも十分功徳があるという解釈です。

大乗仏教の成立
 では、お経には、そもそも何が書いてあるのでしょうか。そのためには、大乗仏教の成立について簡単に述べる必要があります。(この大乗仏教成立については、これから後も、繰り返し触れることになるでしょう)
 釈迦が死んで後、弟子たちは釈迦の教えを忠実に後世に伝えようとしました。しかし、教えを研究するのにあまりにも熱心であったため、教えを哲学的、分析的に解釈するようになり、やがて、生き生きとした説得力のある教えではなく、大学院の研究室でしか通用しないような、学問的なものと形を変えてしまいました。もともと、出家して僧院にこもっている人は、そのような現実から遊離したようなものを研究することに対しては疑問視しません。ところが、一般民衆の立場から、この閉鎖的になった伝統的仏教教団に反発が起こりました。
 これを大乗仏教といいます。この運動は、紀元前後に起きましたが、仏教内部の宗教改革と言えます。主に、一般民衆で仏教徒であると自認している集団から起こったといわれ、出家者ばかりでなく、誰でも悟りを開いて仏となることができると主張しました。仏とは、現在ではいろいろな意味で使われていますが、もともとは、「悟りを開いた者」という意味です。多くの人々を乗せて悟りへと向かう乗り物であるという意味で、大乗と自分たちを呼びました。そして、一方の伝統的仏教教団を、小さな乗り物と蔑んで、小乗と呼びました。

お経の成立
 さて、お経に焦点を当てて述べていきますが、この大乗仏教の運動で、一番の問題点がお経、つまり、よりどころとなる聖典の問題でした。伝統的教団には、釈迦から伝わる教えをまとめた経典や、釈迦から受け継がれてきた戒律をまとめたものなどがありました。ところが、一般民衆から起こった大乗仏教には、それがありません。聖典がなければ、教団形成はできません。
 そこで、大乗仏教の人々が取った方法は、経典を創作するという、現代人にはとても理解のできない方法でした。自分たちの理念、理想を述べたものを自分たちのよりどころの聖典とし、それも、「私はこのように釈迦から聞きました」という書き出しをもって、経典を創作していきました。
 このように、好き勝手に誰でも経典を作り始めたのですから、その経典の量たるや、ものすごいものとなりました。
 また、釈迦以来の伝統的仏教教団は、比較的、当時インド一般社会に浸透していたヒンズー教とは一線を画していたのですが、大乗仏教は、ヒンズー教の社会に生きる一般民衆から起こったのですから、初めからヒンズー教の影響を強く受けることになります。
 このことは、次回以降に述べますが、このときに、仏教の中に、阿弥陀仏とか観音(観世音菩薩)とか地蔵菩薩などの超自然的、神格的存在が説かれるようになり、大乗経典に多く記されていったのです。もちろん、このようなことは、釈迦は説かなかったことです。

漢訳経典
 やがて、シルクロードを通って、経典が中国に伝わり、経典の漢訳が行われました。当然、中国の人は、「釈迦がこのように言った」と記されている経典を見て、すべての経典が釈迦の言葉であることを疑いませんでした。
 しかし、大乗経典は、無秩序に、さまざまな人が創作したものですから、各経典の間に共通性などほとんどなく、矛盾だらけのものです。やがて、この矛盾がさまざまな教派や学派を形成することとなり、その教派が宗派となっていったのです。
 現在、仏教にはいろいろな宗派がありますが、これらがなぜ分かれていったかを一口に言うなら、もともと、大乗経典がさまざまな考えや主張を持つ多くの集団によって無秩序に作られていったことに原因があるのです。
 また、中国で経典の翻訳が行われ、その翻訳が終わると、原典ある古代インド語で書かれた経典は、次々と捨て去られていきました。これは、中国人の伝統のひとつである「中華思想」によるものと言われています。つまり、中国のものが一番優れているという考えから、漢訳された経典が、原典よりも優れているということで、原典は使い捨てのように扱われていったのです。
 こうしたことから、それ以後、仏教は日本に伝わったのですが、すべて、漢訳された経典に基づく仏教が行われていくことになりました。

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