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シンシナチ・レッズのバーニー・カルボ選手
1970年にシンシナティ・レッズに入団、いきなり21本塁打を放ち、
ナショナルリーグのルーキーオブザイヤーに輝いたバーニー・カルボ氏。
ボストン・レッドソックス在籍時、1975年のワールドシリーズでは流れを変える代打3ランを放つなどの記録により、記憶に残る選手であった彼は、自分の人生をこう回顧しています。

「私は16歳の時からビールを飲み始め、19歳の時には既にアルコール中毒でした。また、21歳の時にマリファナを吸い始め、23歳の時にコカインを始めていたのです。試合中にもたばこ、酒、そしてドラッグを欠かしたことはありませんでした。32歳で野球をやめてからは、ずっとストリートで薬のバーターをしていました。ただ薬のために生きていたのです。ドラッグの仲間たちがどんどん逮捕されていきました。私は、生活を変えなければならないことに自分では気がついていたのです。1989年のことです。母親が自殺しました。父親が心臓発作で
亡くなりました。妻からは見捨てられ、離婚しました。最悪の年でした。自殺まで考えたこともあります。...そんな時、リハビリセンターで出会ったカウンセラーが、私に神様を紹介してくださったのです。『神様を知っていますか?』『イエス様を知っていますか?』『イエス様を心にお迎えすれば、あなたの人生は変わります』その2日後に、私はイエス様を受け入れる祈りをしました。リハビリが終わってセンターを後にする日、私は『ダイヤモンドクラブミニストリー』という、野球指導を通じてイエス様のことを伝える働きに献身するようにと言われました。それでも私はまたつまづいたのです。退院14ヶ月後にドラッグ中毒が再発しました。でも、この時は違ったのです。神様をもういちど、私に紹介してくれた女性のおかげです(今の私の妻です)。彼女は私が、どんなにつまづいても変わらず私を愛してくれました。私が『麻薬中毒を再発させてしまった私を神様はもう赦さないだろうし、愛してもくれないだろう』というと、彼女は決してそんなことはない、イエス様は変わらずあなたのことを愛し、赦してくださる慈悲深いお方だと言ってくれたのです。45歳で救われた時、私は救いそのものについて何も知りませんでした。私はその時は、イエス様をを伝えることはできませんでした。」しかしその後の10年間、彼が主とともに取り組む『ダイヤモンドクラブミニストリー』は、非常に祝福されています。かつてのメジャーリーガー、バーニー・カルボ氏は、こう回顧しています。「私のような者でも主は伝道者として、神様のことを、イエス様のことを、救いのことを伝え、福音の種を蒔くために用いてくださいます。...私の今までの人生の中で一番の成功は、メジャーリーグやワールドシリーズでのホームランではなく、イエス様を受け入れ、救われたことです。」「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。... 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書3
1,11a)
(Source
www.cbm.com, "A Diamond in the Outfield", by Chris Carpenter)
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