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プロゴルファー 中島常幸・律子さん
子夫人はミッション・スクールの高校に通いました。校長の佐々木益男先生のことばで信仰を決意し、1968年7月7日に洗礼を受けました。そのことばというのは、ひまわりが太陽に向くように、人間は神によって造られているから、苦しみに会うと「神さま!」と叫ぶのだよ、でした。律子さんは趣味でゴルフを始め、1976年、コーチが出場する「ペプシ宇部トーナメント」に応援のためについていきました。そこでプロデビューしたばかりの中島常幸さんに会いました。1977年に結婚し、78年に長女佳乃さん、79年長男雅生さんが誕生しました。
常幸さんはどんどん成績を伸ばし、95年までに世界の4大メジャートーナメントのトップテンに入り、通算56勝、年間賞金王を4回獲得しました。しかし不調の時がやってきました。
律子夫人は病院訪問の奉仕をし、人々の表情が明るくなっていくのに喜びを感じていました。ところがある日、スランプの中にいた常幸さんが「おまえは人を救えても、俺は救えないだろうな」と言うのを聞いて、ドキッとし、もっとも身近な人を愛せていない自分に気づき、その時から二人で手をつないで散歩するなど言葉よりも行いで積極的に愛を表すように心がけるようになりました。
2001年5月子どもが二人とも洗礼を受け、常幸さんもスランプから抜け出せました。プロであるからには勝つために努力するのは当然ですが、「勝つこと自体が目標ではない。いつかは勝てない時がくる。神から与えられている能力を十分に発揮し、神のすばらしさが人々にわかっていただけたら嬉しい。勝っても負けても神に感謝する平安な心を失わないようにしたい」と言われます。
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