キリストと釈迦
イエス・キリストと釈迦との比較について、いろいろと述べる方もおられるかと思いますが、果たして、この二人の人物を、単純に比較することができるのかどうか、ここで改めて考えてみたいと思います。
釈迦の説いたこと
では、まず、釈迦は具体的に何を人々に伝えたのでしょうか。釈迦の生涯をたどりながら、簡単に述べたいと思います。
釈迦は、紀元前463年頃(一説には紀元前566年頃)、現在のネパール領にあたるヒマラヤの麓の町に生まれました。家は、その地域を治める支配者層に属し、釈迦もその後継ぎの位置にいました。ところが、そのような裕福な生活にも満足できず、彼は人生の問題に苦しんだといいます。一口に言うなら、『人はなぜ苦しみながら生き、病気になり、そして死んでいくのか』ということです。そして、同じように人生の問題解決のために修行する者たちの存在を知り、29歳のとき、自分も家を捨て、ひとり修行者の仲間に入ったのでした。
さまざまな師匠につきながら、6年間の難行苦行の末、ついに悟りを開き、人生の苦しみについての解答を得たとされます。
何を悟ったかについては、さまざまな言い方がされますが、それを簡単に言うなら、「物事のあり方を明らかにし、そのあり方に沿った生き方をすることにより、苦しみからの開放を得る」というものです。
その「物事のあり方」とは、すべてのものは互いに関係し合いながら絶えず変化するものであり、何一つとして独立永遠に存在するものはないということです。しかし、人はその変化してやまないものに執着し、欲望を起こす。やがて、その欲しがるもの、しがみついているものは変化してしまう。そのとき、人は苦しむのだと、釈迦は説きました。したがって、苦しみからの開放の道は、すべてのものは実体がなく変化するものであると知り、欲望を起こさないことであるということです。
釈迦は、このような内容の教えを、聞く人や、その地域に合った説き方で、インド各地を布教して歩き、次々に弟子たちを増やしていきました。そして、80歳にして亡くなったといいます。
聖書の教えと釈迦の教え
このように、釈迦は宗教的なことを説いたと言うより、人生の苦しみの解決をテーマとした教えを説いたのであり、死んだらどのような世界に行くとか、神や仏と呼ばれる超自然的な存在がいるなどとは、決して説きませんでした。そのような教えは、釈迦が死んで500年以上立った頃から始まった、大乗仏教において積極的に説かれたことです(このことは、次の機会に述べたいと思います)。
聖書では、自我を否定し、欲望を捨てることを教えています。これはあくまでも、イエス・キリストを信じる信仰によることですが、先に述べましたように、釈迦の教えと対立してはいません
飛行機とコップ
キリストと釈迦の比較を、たとえば飛行機とコップを比べるようなものだと言ったら唐突でしょうか。
飛行機と新幹線なら、どっちが安いかとか、どちらの方が早く目的地に着くかなどと、比べることはできます。しかし、飛行機とコップでは、比較することすら意味がありません。水を飲みたいと思っているところに、飛行機を持ってこられても困りますし、旅行するのに、コップに乗るわけにもいきません。
まず、イエス・キリストは人ではなく、人の姿をとって来られた神の子です。一方の釈迦は、もちろん人であり、釈迦自身も、自分が何か特別な存在だとは言っていません。二人の人物そのものの立つ次元が違います。
次に、イエス・キリストは、私たち人間が神と和解し、神と人間が本来持っていた正しい関係が回復するために来られたのです。しかし、釈迦は、神という絶対的存在者との関係などにキリストと釈迦キリストと釈迦ついてはいっさい語っていません。ただ、釈迦の説いたことは、人がどのようにしたら人生のあらゆる苦しみから開放されるかということ、この一点です。二人のメッセージや働きが、あまりにも違いすぎます。
強いて言うなら、人間が神との正しい関係に立ち返ることによって、当然人生の苦しみからも開放されるわけですから、その点では、共通点があるかもしれません。つまり、釈迦の存在は、イエス・キリストの存在を妨げることはないのです。
再び、先ほどのたとえを引きますと、飛行機と新幹線は、客を取り合うことによって、互いの存在を否定し合う面もないことはありません。一方、飛行機とコップは、決してそのようなことはないでしょう。
しかし、イエス・キリストの説く神を信じるか、仏教の仏を信じるかなどと、互いに「客」を取り合っているようにも見えますが、これは、釈迦から始まる仏教が、その歴史の中であまりにも変化して、そのように絶対者的な仏を説くようになった結果であり、釈迦は、決して絶対者的な仏や神などは説かなかったことを知っていただきたいと思います。
イエス・キリストの福音については、他の先生方が詳しく説かれると思いますので、次回以降も、私は仏教を中心として述べていきたいと思います。
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